鶴雅ゆかりの作家たち

鶴雅ゆかりの作家たち季刊誌・まろうど便りバックナンバーより

 

第5回

  彫刻家 藤戸 竹喜氏
 
 
一頭の熊がいる。首から背中にかけて流れる毛並み。たくましい太ももの筋肉をおおって、大地を踏みしめる力強い四肢。毛の一本一本まで丹念に彫り抜かれた熊たちは、生きている。木彫家・藤戸竹喜が繰り出す刃先から、いきいきとした森の獣たちが生まれる。
 
阿寒の地は別天地ここを自分の居場所と決めた
 藤戸さんは木彫り熊で有名な旭川出身。父親は熊彫りを仕事にしていたそうだ。藤戸さんは十二歳から本格的な木彫の世界に足を踏み入れ、父親と一緒に道内を転々としながら木彫を続けたという。
十五歳の時にはじめて阿寒湖を訪れ、その美しさに心を奪われたという。「阿寒は別天地のようだった。いずれこの地で暮らしたいと思った」という。
二十歳で独立し、二十五歳の時、ついに再び阿寒にやってきた。「ここに根をおろし、あとの人生を過ごそう」と決めていた。以来、阿寒で楽しみながら木彫に没頭して歳月が過ぎたという。
 
デッサンはしない見たままを木に刻む
木彫の手法は大胆にして緻密(ちみつ)。熊はどれも、丹念な観察から生み出される写実的な美しさを持っている。体毛の一本、爪先のツメの形まで、徹底的な写実のもとに彫抜かれている。
若き日に、「誰もが作る土産物ではない、自分なりの熊が彫りたかった」という思いが、観察眼を鍛え、緻密な作品づくりに向かわせた。
しかし、意外にも彫るときにデッサンはしないという。「デッサンなかできないもの」と、あっけらかんと笑い飛ばす開けっぴろげな性格と、作品の緻密さとの落差に驚く。しかし、制作するときは誰も工房に入れない。彫刻家が自然に真剣勝負を挑む、極度に集中した時間には家族でさえも踏み込むことができないのだ。

  彫刻家
藤戸 竹喜氏
1934年 旭川に生まれる。
1969年 阿寒湖の故前田正次翁の樹霊観音像を完成。
1971年 レーニン誕生百年記念の為レーニン胸像制作、招待を受け訪ソ、レーニン博物館に贈呈。
1983年 英国のエジンパラ公に「怒り熊」贈呈。
1984年 皇太子ご夫妻に阿寒町からの献上品として「丹頂鶴レリーフ」贈呈。
1989年 井上靖作「敦煌」の主人公「行徳立像」制作。
1989年 旭川優佳良織工芸館の依頼を受け「狩をする10人のエカシ達」制作。
1999年〜2000年 ワシントンのスミソニアン博物館作品展示。
アイヌコタンにある店舗「民芸店・熊の家」〈電話:0154(67)2503〉では、お土産品のほか作品も見ることができる。
 

第4回

  彫刻家 瀧口 政満氏
 
 
阿寒の森が色彩鮮やかに色づき始めると、彫刻家は森に帰る用意を始めます。毎年、阿寒に初雪が降るころから雪が溶ける4月の終わりまで、コタンの店を戸締まりして、彫刻家は森の中の一軒家にこもるのです。雪に覆われた森の中で、冬中ひたすら木を彫って過ごします。
 
凍った木〜斧をも砕く自然の力と向かいあう
 阿寒の冬の寒さは厳しく、時にマイナス30度にも下がります。寒さで凍てついた木に斧を振るえば、斧が砕けてしまうといいます。彫刻家は凍った木を温泉の熱で木を温め、何時間もひたむきに斧を振るい続けます。
「フクロウの目玉の形にあわせて丸く木目が現れるとき。少女の丸い頬に木目が丸を描くとき。木目がフクロウの羽の模様に見えるとき。彫った人物の周りに風が吹いているように見えるとき。私は木を彫ることの、喜びを感じる」。
彫刻家はあるがままの一本の木から形を生み出すことにこだわります。二股に分かれた木から「馬と風」が生まれます。曲がったニレの埋もれ木から、「老婆」が姿を現します。
 
サロルンとイチンゲは今日も木の声を聞く
二十二歳のとき、初めて訪れた阿寒湖畔。コタンの店先でノミを振るっているアイヌの青年やコタンの熱気に触れて感激しました。
 コタンで出逢ったアイヌの女性と交わす手紙には、いつも最後に「サロルン(アイヌ語で鶴のこと)より」と書かれていました。彫刻家はみずからを「イチンゲ(アイヌ語で亀のこと)」と呼びました。もうずいぶん昔の話です。
 今では互いに「サロルン」、「イチンゲ」と呼び合うこともなくなりましたが、サロルンとイチンゲは、コタンに小さな店を持ちました。店の軒先には「イチンゲ」という木彫りの看板が掛かっています。
  彫刻家
瀧口 政満氏
1941年、満州生まれ。3歳の時、肺炎による高熱で聴力を失う。東京教育大学附属ろう学校高等部卒。同大学名誉教授・朝永振一郎博士より、口話賞授与。
28歳より阿寒湖畔在住、彫刻に打ち込む。
釧路、札幌、千葉、東京等で個展開催。阿寒湖小、釧路市立博物館、阿寒湖ビジターセンターにレリーフ寄贈。
 
 

第3回

  彫刻家 瀧口 政満氏
 
 
阿寒の森はアイヌの叙事詩「ユーカラ」の神話が息づく不思議の森。
人々を護り、村を守っているのはコタンコロカムイというシマフクロウの神様。
「コタンコロカムイよ。ここを訪れる人々をお護りください」彫刻家は祈りを込めてノミをふるい、埋もれ木から神の形を取り出しました。
 
埋もれ木〜森に倒れたニレの木が彫刻家にささやく
 森の奥深く、枯れ葉に埋もれて時を待っている大きな木がありました。何度も雪が降り積もり、何度も落ち葉が舞いました。
 ある日男がやってきました。「私を連れて行きなさい」。楡は小さくささやきました。男は木のささやきを聞き取って、はるばるニレを連れ帰りました。
 彫刻家は言います。
「木には命の力があります。雪に押されて曲がっても、一生懸命上へ上へと伸びようとします。その命の力に触れたとき、人は癒されて、がんばって生きていこうと思えるのではないでしょうか」
 
コタンコロカムイ〜神を彫る
魂のすべてで自然と向きあう
 
 阿寒湖畔の鶴雅別荘「鄙の座」のエントランスホール。旅人は足を踏み入れると、森の奥で翼を広げるコタンコロカムイ(シマフクロウの神様)に出会います。
「コタンコロカムイは村や人々を護る一番の神様です。その気迫、自然の力の偉大さを、広げた翼と見開いた両眼の鋭さに込めました」瀧口さんは、半年間ひたむきにニレの埋もれ木と向き合い、コタンコロカムイの姿を彫り抜きました。「自然の中で生きていくことは厳しい。今日、獲物を倒しても、明日は倒されるかもしれない。例え互いに喰い合うことになろうとも、生きるということは尊いこと。自然は生きるものすべてを包み、護ってくれる。その神の形を一羽のシマフクロウに込めました」「鄙の座」を訪れた人は、誰もが翼を広げたコタンコロカムイと向き合います。鋭い眼と、大きく広げられた対の翼の前を通り、神が護る、癒しの村へと足を踏み入れてゆくのです。
  彫刻家
瀧口 政満氏
1941年、満州生まれ。3歳の時、肺炎による高熱で聴力を失う。東京教育大学附属ろう学校高等部卒。同大学名誉教授・朝永振一郎博士より、口話賞授与。
28歳より阿寒湖畔在住、彫刻に打ち込む。
釧路、札幌、千葉、東京等で個展開催。阿寒湖小、釧路市立博物館、阿寒湖ビジターセンターにレリーフ寄贈。
 
森に生きる。   ふわりと羽根をふくらませたたずむフクロウ、風に向かってすらりと立つ女性…。
鶴雅グループホテル内の彫刻の産みの親、それが瀧口政満さんです。
森に生きる。

第2回

  彫刻家 瀧口 政満氏
 
 
 あかん遊久の里鶴雅のほど近いアイヌコタンにある瀧口さんの木彫りの店「イチンゲ」。店内のお決まりの場所で、ナタやノミをふるう瀧口さんの姿がありました。
 瀧口さんは山梨の農家に生まれ、3歳の時に肺炎による高熱が原因で聴力を失いました。そんな瀧口さんが彫刻と出会ったのは、手に職をつけるために進学した東京教育大学付属聾高等学校でのこと。小さな頃から物を造ることが好きで、美術、洋裁、印刷、木工とあるうちの、木工科に進学したのがきっかけでした。
 「学校では彫刻の基礎を学びました。ルームアクセサリーやブローチ、鏡の枠のような小さなものが多かったかな」と瀧口さん。卒業後は、恩師の薦めで東京にある木工品を作る会社に就職。22歳の時に旅行で訪れた阿寒湖畔で衝撃を受けます。
 今よりもずっと賑やかだったアイヌコタンのあちこちに店先で木彫りをする姿。そして彫っているのは熊をはじめ大きな作品ばかり。自然の姿を残した木にナタやノミを振るう姿は、それまで小さな板や木片を相手にしていた瀧口さんにとって忘れられないものでした。学校で習ったのとは違う刃の動き、ノミの使い方を一日中眺める瀧口さん。東京に戻ってもそのシーンは片時も頭から離れることがありません。
 アイヌコタンで知り合ったユリ子さんへペンを取り、何度かの文通の末、釧路に木彫りの職を見つけ移住。しかし、その会社は長くは続かず、ユリ子さんと結婚して阿寒湖畔に移り住み、帯広で職業指導員をしながら制作活動に励んだこともありました。捨ててあった線路の枕木、ベニヤ工場の半端材…。祈りや戦争で辛い思いをした人の気持ちをテーマに文字通り彫れるものには片っ端から魂を吹き込んでゆきます。そして作品を持っては個展の売り込みへ。こうして彫刻家・瀧口政満が生まれたのです。
  彫刻家
瀧口 政満氏
1941年、満州生まれ。3歳の時、肺炎による高熱で聴力を失う。東京教育大学附属ろう学校高等部卒。同大学名誉教授・朝永振一郎博士より、口話賞授与。
28歳より阿寒湖畔在住、彫刻に打ち込む。
釧路、札幌、千葉、東京等で個展開催。阿寒湖小、釧路市立博物館、阿寒湖ビジターセンターにレリーフ寄贈。
 
極上のアートに触れる充実の時間。
 

第1回

  書家 加藤 秋霜氏
 
鶴雅の館内のそこかしこに飾られているアートフルな作品にお気づきでしょうか。
ダイナミックな木彫りの動物や女性たち。躍動感にあふれる墨書。いずれも世界では第一人者の芸術家が心を込めて制作したものばかり。
8階のギャラリー「森の夢」には、和みのひとときをゆっくりと過ごしていただけるよう、その大家たちの作品を一同に展示しています。
そんな作家たちをご紹介するコーナー。第一回目は書家「加藤秋霜」氏とその作品の一部をご紹介いたします。
 
当館のフロントロビーにかかげられた書画「鶴雅」をはじめ、館内のパブリックスペース、料亭、客室などに、屏風、額、掛け軸なのとして加藤秋霜氏の書を展示しています。その数200点余り。
北の風景や旅情をよんだ詩や句を美しく、時に力強く表現した書にふれて、心和み、癒されるひととき…。
鶴雅らしい時間と空間は、いつも氏の作品とともにあるのです。

 
  書家
加藤秋霜氏

1923年、釧路市生まれ。
18歳で書道入門。25歳で書道研究グループ「書峰社」を結成。現在主宰。
日展会友、毎日書道展審査会員、(社)創玄会理事審査員。札幌市長室の額装「与謝野晶子の歌」、釧路市生涯学習センターのアートギャラリーに四曲屏風「鶴舞ふ」など、所蔵作品多数。海外でも作品を発表する。