北海道の短い春に備えて、野の植物は秋のうちから準備をします。例えばふきのとうなどは、秋のうちにつぼみをつけて雪に埋もれて春を待ちます。道路脇にまだ雪が残っている頃、シラカバの木の芽は、もうほんのり赤く色づき、ネコヤナギの芽も膨らみ始めます。北海道の桜は『蝦夷山桜』(エゾヤマザクラ)といい、染井吉野(ソメイヨシノ)に比べると、ずっと色が薄い花を咲かせます。エゾヤマザクラよりも四、五日早くコブシの白い花が咲きます。山菜ではギョウジャニンニクが、まだ雪の消えないうちから芽を出します。続いてコゴミ、ゼンマイ、ウド、タラノメ、最後がワラビの順で出てきます。
 阿寒の春はゆっくりやってきます。春先は足もとの雪が少しずつ溶けて、硬く締まっていくのを感じます。森で出合うエゾシカたちは冬毛が抜けて、もう夏の準備を始めます。北の斜面の雪穴ではヒグマが冬眠から目を覚まします。冬眠から覚めたヒグマは、まず国道241号(阿寒横断道路)の阿寒側にある、じゅんさい沼に水を飲みにやってきますので、この付近では、よくヒグマを見かけます。空では鳥たちの鳴き交わす声が変わってきます。冬のあいだは地味な地鳴きという鳴き方ですが、春になると、お相手を呼ぶにぎやかなさえずりに変わるのです。
 阿寒湖畔のミズバショウは、だいたい五月の連休明け頃に花を咲かせます。ボッケから滝口の湖畔沿いの森林の中は、尾瀬にも匹敵するほどのミズバショウが群生しています。ボッケとはアイヌ語で、煮え立つという意味で、実際に阿寒湖畔では温泉が沸き出しています。ミズバショウ以外にも、エゾムラサキツツジや、エゾエンゴサク、エゾオオサクラソウ、ニリンソウ、スズラン、ごく少しですがヒトリシズカ、スミレ、オオバナノエンレイソウなど、可憐な山花もいっせいに花を咲かせ、一気ににぎやかになるのです。


 早春の道東では、あちこちでエゾシカを目にします。特に朝と夕方は、水飲み場に向かってエゾシカが移動するので、遭遇率が高くなります。エゾシカの主食はクマザサですが、冬のあいだは雪におおわれてしまうので、樹皮を食べたり枯れ草を食べて餓えをしのぎます。凍て付いた川が溶け始める早春。エゾシカは早くも冬毛が抜けて夏の準備に入ります。一足早く季節感を先取りして夏に備えるのは、短い道東の春を生きる、野生動物の知恵なのかもしれません。
 山の神、神爺、首飾りをさげた神、神旦那……。何十種類もの名で呼ばれるヒグマは、古くからアイヌ民族にとって神聖な生き物でした。ヒグマは肉や毛皮などをまとった「山の神」であり、イオマンテは山で生け捕った仔熊を人間の子と同じように大切に育て、盛大な催しとともにヒグマの霊を神の国へ送る大切な儀式です。早春、いちばん最初に冬眠から覚めるのは独身の若いヒグマ。冬眠中に子どもを産んだヒグマは、それに遅れること一か月半。野山が少し潤った頃に仔熊と一緒に出てきます。

 大正十二年。網走川河口でまったく新しい文化遺跡が発見されました。発見したのは米村喜男衛さん(明治二十五年生まれ)。青森県南津軽郡出身で、小学校の頃から考古学に興味を持っていました。  
 高等小学校三年(今の中学一年にあたる)の時、学校を中退。理髪師として東京は神田小川町の理髪店に職を得ます。その後、縁あって、東京大学の鳥居龍蔵博士の知遇を得、やがて、鳥居氏が手がけたアイヌ民族の研究をするために函館に渡ります。
「大正の頃、函館には、すでにアイヌの人たちはほとんど住んでいませんでした。そこで祖父は、当時としては奥地であった網走を目指したようです。そして網走川の河口でモヨロ貝塚を発見したのです」と、喜男衛さんの孫にあたる米村衛さん(網走市立郷土博物館 学芸員)
司馬遼太郎は、古代ギリシャのトロイの遺跡を発掘したシュリーマンと米村喜男衛さんには、不思議な共通点があると書いています。
どちらも在野の考古学者であり、幼い頃から神話や民話を聞いて育ち、考古学に対して興味を持っていたことです。
雪の中にモヨロ貝塚遺跡跡
 当時としてはたいへんにハイカラな人で、蝶ネクタイを愛用したり、三揃いのスーツを着ていたそうです。(写真提供 米村衛さん)
 喜男衛さんは網走川の河口断崖で、土器や石器、骨角器や人骨を発見します。この人骨について、作家・司馬遼太郎は『オホーツク街道』の中で、「米村喜男衛翁が発見したモヨロ貝塚の”オホーツク人“は、日本史年表でいえば、奈良朝から平安朝いっぱいまで北海道オホーツク沿岸にいて、多くの遺跡をのこしたひとびとなのである。要するに、有史以来のひとたちである。」と書いています。太平洋戦争の時、軍がモヨロ貝塚のある場所に施設を建設しようとした時、軍部に抵抗してモヨロ貝塚を守ったのは「史跡名勝天然記念物保存法」が勅令であったことを逆手に取った、喜男衛さん等の功績でした。
 戦後の食糧難の時、調査隊の食料を必死で調達したのは、喜男衛さんの妻、いささんでした。いささんは、時に五十人にもなる調査隊員を養うため、毎日のように漁師や農家を訪ねては食べ物を集めました。「彼女は考古学ずきな理髪職人の私といっしょになってから、半生を働きずくめ働きとおした。そして、私の仕事の全般にわたり、私と一体となって、よくも協力してくれた。しかし、何か彼女に報いるものがあったであろうか。」(『モヨロ貝塚』米村喜男衛著)。第二次調査が終わりに近づいた昭和二十三年、いささんは過労で倒れ、翌年の春に亡くなりました。しかし、司馬遼太郎は言います。「米村さんが研究し、予感し、掘りあてたのは、遠い世にオホーツクの海を渡ってきた素朴な民族の遺跡なのである。(中略)われわれ地球上の人間を今日に在らしめている”過去“という荘厳さなのである。」(『オホーツク街道』)
牙製のクマ像、湧別町川西遺跡出土
モヨロ貝塚から出土の骨角器
モヨロ貝塚から出土のオホーツク式土器

 平成4年に司馬遼太郎さんがいらしたときに、常呂川周辺の遺跡と栄浦の遺跡などを案内しました。オホーツク文化の人々は、シカの角を用いてクマやラッコを彫刻したり、クジラ、アザラシ、オットセイなど、海獣狩猟を共同で行っていました。争いを好まなかった人々のようです。また、家の中には骨塚と称するクマ、シカ、キツネなどの動物を祀(まつ)る場所があり、クマについてはアイヌ民族が行う「クマ送り」の儀式に影響を与えたと考えられています。
 数年前から、エゾシカの肉を料理に取り入れる方法を模索していましたが、阿寒町との連携も整って、上質なシカ肉の確保が可能になりました。上質なシカ肉は、ロースとしても、タタキとしても美味しく召し上がれます。部位によって、脂肪の分量が違いますので、脂肪の多い部位ならボルドーのフルボディ、カルパッチョなら軽めのワインがお勧めです。和食、イタリアン、中華など、料理に合わせたワインをご案内いたします。ところで…。レストランでときどき困った風景を見かけます。ウエイターが引いた椅子に、男性が先に座ってしまうことがあります。洋食のマナーは徹底して女性を大切にするようになっています。椅子に座るときも「レディーファースト」で。この時だけは「亭主関白」を返上して、女性を大切にしてください。ワイン選びの時も、ご予算や好みを伝えていただければ、ぴったりのワインをご案内いたします。もちろん大切な記念日のワインや、男性の思いを伝える極上のワイン選びもお手伝いいたします。どうぞ気軽に声をかけてください。
 サロマ湖は日本で三番目に大きな湖です。鶴雅リゾートのある栄浦のあたりは、昭和十年頃までは牡蠣島と呼ばれていました。サケやマスも遡上しますが、このあたりの海が豊かなのは、実は流氷と関係があるそうです。常呂から網走の沖合七十キロあたりは海底が浅くなっている丘があり、そこに流氷が引っかかって春に消失します。流氷は『アイスアルジー』と呼ばれる植物プランクトンをたくさん運んでくるので、流氷の消失地点は、とてもいい漁場になるのです。このオホーツク海の豊かさで、古代の人たちも豊かに平和に暮らしたものと思います。
 仕事の中で心がけていることは笑顔で接客することと、コンビニ言葉を使わずに、きちんとした日本語で接客するということです。正しい敬語の使い方は難しいですが、就職する前に取得した「ホテル・レストランサービス技能検定三級」を生かし、先輩を見習いながらがんばります。
 朝、チェックアウトされる前後にお土産をお求めになるお客様が一番多いです。お孫さんにお土産を買いたいのだけれど何が良いか、お友だちへのお土産にはどんなお菓子が良いだろうかなど、いろいろなご相談をお受けします。笑顔でアドバイスをさせていただきます。
 一度お見えになったお客様の顔はできるだけ覚えておくように心がけています。「また来たいな」とお客様が思ってくださるような、良いサービス、良い接客を心がけています。良いサービスができたとき、お客様が喜んでくださって笑顔になってくれるのがいちばんうれしいです。
 厨房で食器を洗う係です。料理担当は職人揃いで、食器の扱い方にもたいへん厳しいのですが、逆に料理に対するこだわりやお客様への心遣いがよくわかります。高価な器も使っていますので、取り扱いには神経を使いますが、一つ一つ心を込めて洗っています。
 阿寒の短い春を一足先に味わっていただけるよう、”菜の花とキングサーモンのカルパッチョ“を作りました。カルパッチョはノンオイル、バジルのドレッシングでさっぱりと仕上げてあります。キングサーモンの皮を、からっと揚げて、カリカリした食感を楽しんでいただけるように工夫しました。パプリカやイクラの色味からも春を感じていただけるとうれしいです。ちなみに添えてある花は「エディブル・フラワー」といって、食用の花ですので安心してお召し上がりいただけます。
 糸で編んだ手毬がゆらゆらと揺れる様子がかわいい、糸玉の飾り。同じデザインで天井からつるすモビールもあります。ゆらゆらと揺れる様子に心惹かれるのは、意外にも男性のお客様が多いのだそうです。柔らかい手触りがなんとも言えず心地良いウサギのぬいぐるみ。このぬいぐるみを買っていったお客様から、「孫が気に入ってずっと手放しません。何年か前に買ったので、もうぼろぼろなのですが、今でも置いてありますか」と、問い合わせをいただき、それ以来ずっと定番で置くことになったそうです。
 森の中をイメージした玄関。うっそうと木々の茂る阿寒の森、やさしい木漏れ日など、居ながらにして阿寒の森に立っているような雰囲気です。
 家族が集ったり、冬のあいだの手仕事をしたり、その日の狩りの様子を語り合ったり…。アイヌの人々にとって、いろりを囲む広間は、大切な場所でした。
 木をふんだんに使った寝室。幾何学的なアイヌ文様がモダンな雰囲気をかもし出しています。木のぬくもりに包まれて目覚めた朝は、きっと心が穏やかになっていることでしょう。  木、明かり、アイヌ文様が調和したデザイン性の高い客室です。阿寒湖や周辺の森を散策して部屋に帰ると、調度のすべてがしっくりと五感に馴染むことが実感できます。
 どこか遠いところから長い旅の果てにたどり着き、海岸で、そのまま朽ちてしまうはずの流木。瀧口さんはそんな木の前で足を止めます。手で触れ、眺め、いろいろな角度から木を眺める姿は、まるでその木と何か話をしているように見えます。やがて、瀧口さんが持ち帰った流木は、フクロウや少女に姿を変えてよみがえります。海岸で尽きかけた木のいのちに、瀧口さんのノミやナタが新たないのちを吹き込むのです。
「まっすぐな木は一本もありません。みんな、雪の重みや風に押されて、曲がったりねじれたりしています。でも、その曲がりやねじれが木の姿です」
 大きな木は大きなままに。枝分かれした木は枝分かれのままに、木の形を生かします。
「木は厳しい自然の中で、百年以上の時間をかけて大きくなってきたのです。もし作品のためにその木を切り刻んでしまったら、きっと木は悲しむと思います」
 深い森に足を踏み入れた時、自然の力を五感で感じたことはありませんか。樹齢百年を越えた木や、苔むした岩に、何か特別な雰囲気を感じたことはありませんか。かつて私たちは、自然が発するさまざまな声を聞き取れていたのに、いつの間にかそういう力をなくしてしまったのかもしれません。瀧口さんは三歳で病気のために聴力を失いましたが、あわただしく暮らす私たちが失ってしまった、森のささやきや、木のつぶやきを聞きとる力を、今も持っているのかもしれません。「木の形をじっと見る。木の音に耳を澄ませる。すると木がイメージを与えてくれる。それから彫り始めるのです」
 瀧口さんの彫刻作品には、森の倒木が使われています。エゾマツやミズナラ、セン、タモなど、北海道の自然の中で風雪に耐えた木は、やがて雪の重さや風の強さで、折れたり倒れたりします。そういった木と出合ったとき、瀧口さんはその木の姿を生かすために作品を作ります。時には五時間も六時間も、夢中になってナタを振るい続けます。ナタを握る瀧口さんの右手に触れると、手は力強くてあたたかくて、まるで木のいのちが宿っているようでした。
 まだ若い馬と少女が一緒に何かを見上げています。頭上にあるのは、風の通り道でしょうか、それとも大きな希望でしょうか。なにかうれしいことが起きそうな、期待が膨らむ作品です。
 今年はモーツァルトの生誕二五〇年にあたります。モーツァルトはオーストリアのザルツブルグに生まれ。ウイーンで亡くなりました。三十代半ばで亡くなりましたが、幼いころから天才的な才能を発揮して、三歳の時からクラヴィーア(現在のピアノの前身)を弾き始め、亡くなるまでに626の作品を残したと言われています。また、とても早熟な子どもで、六歳の時にマリア・テレジア女帝の前で演奏した時、そこにいた一歳年上のマリア・アントーニア(後のマリー・アントワネット)にプロポーズしたというエピソードも残っています。モーツァルトの作品にはよく知られているように、「ケッヘル番号」が付けられています。この番号はケッヘルという研究家によって、作品が作られた年代順に第1番から並べて付けられた番号です。
 モーツァルトが十七歳の時に作った曲ですが、モーツァルトの交響曲の中でも傑作と言われています。交響曲40番と同じく短調で、暗く悲壮感が漂う中に力強さを感じさせる展開です。この曲は、映画『アマデウス』の中でも効果的に使われています。曲目はおぼえていなくても、メロディーを耳にするときっと「聴いたことがある」と思うはず。ちなみにモーツァルトの三大シンフォニーは交響曲25・40・41番のことです。
あかん 鶴雅別荘 鄙の座のオーディオルーム
 真空管アンプ(マッキントッシュ275)と幻の名スピーカー・ミニパラゴンで再生される音は、極上の贅沢。まろやかで奥行きのある音は、一度聴いたら耳が憶えてしまいそうです。
釧路湿原グラフィック社1989年2月発刊
 阿寒の森と同じように、釧路湿原も太古からの不思議な力を残しています。ヤチボウズ、タンチョウ、釧路川……。作家、立松和平が自分の目で見、体で感じた釧路湿原の魅力と美しさを、写真とともに紹介する一冊です。
 あかん 遊久の里鶴雅9階の図書室心地良いBGMに包まれて、お気に入りの1冊を探すのも楽しい。読書に飽きたら、9階からの眺めも楽しめます。
 鶴雅グループでは2005年4月に環境ISOを取得し、阿寒湖の自然環境を守る取り組みを行っています。その一環として、湖にできるだけ負担をかけない石けんを開発、販売することになりました。
各館のお風呂で使用している温泉の源泉水を配合し、温泉の良さを活かした3種類の石けんは、じっくりと時間をかけて作り上げた枠練り石けん。コラーゲン配合で、洗顔石けんやシャンプーとしても使えます。洗った後はお風呂上がりのように肌がしっとり。
 鶴雅、鄙の座、サロマ湖鶴雅リゾートオリジナルSPA SOAP:1コ¥840、購入・問い合わせは各館売店までお願いします。