先代と隣同士の息の合った友人 釧路観光連盟会長 株式会社レイクスパたかだ 取締役会長 高田 満氏
先代と隣同士の息の合った友人
釧路観光連盟会長
株式会社レイクスパたかだ
取締役会長 高田 満氏

あの日、あの頃、出来事隠れたエピソードが次々と飛び出して…。

 「ふたりで悪いことばかりしていたから…。思い出は尽きないよ。こうして昔の事を思い出すと顔が浮かんで来て…つい…。」感極まって涙が流れる。

 昭和三十年、時を同じく阿寒の地で観光ホテルを創業したお隣同士。先代大西正昭社長が五歳年上の間柄。北見駅前で昭和天皇が行幸の折にお泊りになられたという老舗旅館の息子と大きな夢を心に秘めた青年社長のコンビが繰り広げた話は、おかしいやら凄いやら。観光地阿寒の歴史の表も裏も見えてくる。
 「そもそも出会いは源泉を探しに山に入るという時、もしも熊が出たらというので猟銃を持っていた俺が一緒に行ったのが始まりです。そのあと釣りの楽しさを教わり、その代りにこっちが鉄砲を教えた。それがあの時、俺を出し抜いて鴨撃ちに行くものだから警察の厄介になってしまって。それで鉄砲をお前も止めろと言うんだよね〜。いや〜、強引な人だった」という。しかし、たとえ年下の高田会長とて言われるままの人ではない。負けず嫌いの熱血漢。喧嘩も絶えなかったそうです。聞けばラクビーの名門北見北斗の出身。しかも全国大会決勝で秋田工に11×3で惜敗したチームのウイング。百メートル十一秒台の俊足で鳴らしたそうです。「決勝の時は肩を脱臼して出られなかった。俺がいたら…」と、その負けず嫌いも相当なものだ。

 かつての自宅は互いの茶の間が向かい合わせのお隣同士。毎日のように行ったりきたり「昼間から一杯やったりもしてね、ある時なんか酔っ払って間違えてこっちの靴を履いて帰ってしまってよ、本当に笑い話だ。もう来るなよ!と言っても来るんだよな」と往時を偲ぶ高田さんの表情はとても楽しそうでもありました。
 「阿寒湖氷上祭りを始めたのも先代と中島さん(現町長)と一緒だった。苦労もしたが大成功で、その反省会で俺が役場の課長と喧嘩になってしまって。その時に先代が仲裁に入ってくれた。だけど喧嘩の仲裁に入ってくれたのはその時のいっぺんだけ。あとのすべての喧嘩仲裁係は私の役目だったでしょうか」と笑う。豪快な先代との交遊録をあげれば切りがない。

 「昔、白光会に入れてもらおうと思っても二人は若僧ということで相手にしてくれない。それじゃ皆が知らないところでと津別まで行って二、三日帰って来なかったり。ワッハッハ…」
 しかし、二人が力を合わせたのは遊びだけではなかった。かつて瓢箪池でスケート大会が開かれていた頃、朝五時に炭一俵ずつを背負って選手のために暖を用意したり、コース審判もかってでた。「本当にいい人でした。喧嘩ばかりしているかと思えば優しいところもありました。
 仕事のことも随分教えてもらいました。阿寒湖の観光についても先頭に立って頑張っていました」という。「横断道路の除雪を早くしてもらおうと皆でスコップを持って行くんですよ。人間の力じゃ、せいぜい二、三メートル。それでも先頭になってやる、そんな先代でしたね。国鉄のダイヤ改正で釧路駅の到着時間によって観光客が阿寒に泊まるか川湯になるかが決まるんです。そんな列車ダイヤの問題でも大挙して国鉄への陳情に行きましたね〜」

 それから…、それから…と次から次と先代と共に歩んだ思い出の出来事が蘇ります。
あまりに派手になりすぎて空中分解してしまった連合運動会の話、アイヌの衣装で仮装した盆踊りで惜しくも優勝を逃した話、やけ酒を飲んだ夜の話などなど…懐かしき思い出は高田さんの心に深く刻まれ、決して消えることはないようです。

* 白光会:当時阿寒の経営者の集う会。白髪の白、はげ頭の光から取った名前だそうです。