旅のしおり/ travel bookmarks
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阿寒湖エリア / DATE 2019.09.12
釧路の魅力を探る
釧路港は1969年から9年間水場げ日本一を誇った歴史があります。それは、排他的経済水域が定められるまでの話。1967年には外国貿易高が初めて年間100億円を突破し、釧路港には外国船がひしめいていました。その頃から世界を巡る船乗りたちの間でまことしやかに囁かれていたことがあります。「釧路はマニラ、バリ島と並ぶ世界三大夕日だ」と。バリは七色に輝くサンセットで有名なリゾート地。それに並び立つ釧路のサンセットの魅力を余すことなく紹介します。
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サロマ・オホーツクエリア / DATE 2019.07.25
捕鯨船のポーが鳴る町
現在、唯一捕鯨が行われている道東。中でも網走は100年に渡る歴史を重ねています。昭和24年頃には少なくとも23隻の捕鯨船が活躍し、最大192頭を捕獲していた網走の海。捕鯨の帰船を知らせる「ポー」の音は、子どもから大人までが解体場に走り寄り、賑わいを告げる鐘の役目を果たしていました。今回のまろうど便りでは、かつて捕鯨が基幹産業として、街を盛り立てていた頃の網走をご紹介いたします。しっかりと歴史に記されている捕鯨の歴史は100年ほどですが、その起源は約1300年前に遡ります。捕鯨を行っていたのは古墳文化の後期から奈良・平安時代の前期に渡って、カラフトや奥尻まで広がり栄えていた交易民族・オホーツク人。当時の遺跡や住居跡からはクジラの骨が発見されており、クジラの絵が描かれた骨製の針入れやマッコウクジラの牙で作られた像なども見つかっています。更に、それらは浜に打ち上げられたクジラではなく、海上で立ち向かって捕鯨したもの。その証拠に根室の弁天島で出土した針入れの表面には「7人ほどが乗り込んだ船の先端に立ち上がったひとりが、クジラに銛を打ち込もうとしている様子」が鮮やかに描かれているのです。またこの頃、オホーツク人の漁は石器と金属器の併用時代を迎えており、突き刺さった銛が抜けにくい二重かさになった道具も発掘されていま す。このことから、当時のオホーツク人、つまり網走での捕鯨は1300年前から今につながる伝統産業とも言えるでしょう。
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