旅のレシピ/ travel recipe
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DATE 2020.11.06
休暇を愉しみながら働く新しい旅ワーケーションのカタチ
テクノロジーの進化で場所を選ばず仕事ができるようになり、国内限らず共有型オフィスであるコワーキングスペースを取り入れるケースが増え始めています。ホテルや旅館もその例外でなく、いつもと全く違う空間がリフレッシュやひらめきを得られます。またワーキングスペースでの交流が、新たなチャンスにつながる可能性もあります。
- #遊久の里
- #ウイングス
- #鶴雅アドベンチャーベースSIRI
- #ワーケーション
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DATE 2020.06.20
北の素材にこだわったデザートが並ぶ!「パティシエ・ラボ」
しこつ湖鶴雅リゾートスパ 水の謌と言えばスイーツ!「スイーツショップ パティシエ・ラボ」は、水の謌の日帰りランチに来たら必ず立ち寄る!という人もいるくらいの人気店です。
- #水の謌
- #グルメ
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DATE 2020.06.20
毎日パティシエが手作り!ホテルメイドのスイーツ”パティシエ・ラボ”とは?
売店”森マーケット”内にあるパティシエ・ラボ。パティシエが工夫を凝らしてして創作するヘルシーなプリンやロールケーキ、タルト、焼き菓子…。
- #森の謌
- #グルメ
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DATE 2019.12.12
苫小牧と支笏湖を結んだ軽便鉄道の記憶
時を遡ること、111年。苫小牧と日本最北の不凍湖、支笏湖が1本の鉄路で結ばれました。当時の王子製紙が苫小牧工場建設のため、広大な原野を切り開いてレールを敷 いた軽便鉄道「山線」です。明治から昭和まで北海道の製紙産業を陰で支え、1951(昭和26)年8月にその役目を終えましたが、鉄路の跡はサイクリーングロードとなり、 機関車や支笏湖の鉄橋は産業遺産に認定されています。人々の遠い記憶の中に眠る軽便鉄道「山線」の歴史をご紹介しましょう。
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DATE 2019.09.12
世界三大夕日釧路の魅力を探る
釧路港は1969年から9年間水場げ日本一を誇った歴史があります。それは、排他的経済水域が定められるまでの話。1967年には外国貿易高が初めて年間100億円を突破し、釧路港には外国船がひしめいていました。その頃から世界を巡る船乗りたちの間でまことしやかに囁かれていたことがあります。「釧路はマニラ、バリ島と並ぶ世界三大夕日だ」と。バリは七色に輝くサンセットで有名なリゾート地。それに並び立つ釧路のサンセットの魅力を余すことなく紹介します。
- #遊久の里
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DATE 2019.09.05
春の釧路街道で馬に出逢う。
釧路に馬が入ったのは寛政十二(1800)年のことである。幕府がロシアに対する防具をにわかに固めだし、警備役人のほか伊能忠敬や近藤重蔵らも東蝦夷地に放たれた。こうした役人や探検家らが移動用に連れてきた馬が、蒙古馬を起源とする南部馬であったようだ。そして冬の間、蝦夷地に放置されて寒さに適応していった元南部馬が、道産子(北海道和種馬)の先祖ではないかと言われている。今年3月、道東自動車道が開通し、より広く周遊できるようになったひがし北海道。旅の途中で体高130センチ前後のどっしりとした、たてがみが豊かな馬を見かけたら、それはきっと道産子。過酷な原生林で働き、厳しい冬を乗り越えた強靭なDNAを感じるはずだ。名馬ゆかりの地、釧路市大楽毛の「神馬事記念館」へは、阿寒ICからのアクセスが便利です。
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DATE 2019.08.30
神々が眠る山 羊蹄山
日本百名山のひとつとして数えられる、羊蹄山。標高は1.898m。洞爺国立公園に属するシンボリックな円錐型の成層火山です。活火山に指定されていますが、火山活 動が確認されているのは 約6千年前。1912年、 日本にスキーを伝えたレルヒ中佐が登頂して以来、冬はバックカントリースキー、夏は登山客が全世界から訪れています。最も美しいとされる初夏の山容は全国各地の富士の別名を持つ山々の中で最も富士山に近く、そびえる絶景はまさにカムイの作り上げた芸術品。また豊かな自然が古より誰にも荒らされず守られており、神々が愛する聖域が如く感じさせます。
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DATE 2019.08.29
みなみ北海道の歴史を訪ねて
幻想的な大沼の風景を作り出す最初のキッカケは、3~5万年前の大噴火。駒ヶ岳は山頂の3分の1が崩落し、現在の剣ケ峯となります。噴火の泥流は裾野の河川をせき止めて大きな沼を形成し、崩落した山頂部は後の浮島となって辺りに散り散りに。駒ヶ岳はその後、何度も噴火を繰り返し、大きな沼は少しずつ大沼・小沼・ジュンサイ沼に分かれ、現在の姿となりました。 北海道の名付け親でもある、松浦武四郎が大沼周辺を訪れたのは1845年。通り過ぎるだけの滞在でしたが、蝦夷日誌の中で「その風景は筆舌に尽くすことができないほどのものである。この地を東海道・東山道に置いたならば松島を凌ぐであろう」と書き残しています。1871年にはジュンサイ沼の畔に今はなき宮崎旅館が開業されました。
- #エプイ
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DATE 2019.08.21
いち早く春が訪れる駒ヶ岳界隈
優美なシルエットの秀峰・駒ヶ岳を望み、浮島のシルエットが風光明媚な大沼国定公園。大沼・小沼・ジュンサイ沼という3つの湖沼と駒ヶ岳と周辺の豊かな森が織りなす風景は、表情を変えて目を楽しませてくれます。春は大沼が目覚める季節です。駒ヶ岳はゆるやかに白い雪化粧から新緑へと衣替え。湖畔には白い水芭蕉、木立には大きなこぶしの花が咲き誇り、ウグイスが春の訪れを歌います。いち早く春の訪れを感じられる大沼へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
- #サロマ湖鶴雅
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DATE 2019.08.16
炭鉱の歴史を巡る情緒の秋。
紅葉美しい春採湖畔を走る、石炭を積んだ貨物列車。1925年から現在まで続く情景です。阿寒湖畔を含む釧路市は、国内で唯一坑内掘りの炭鉱が残る街。また国内でも有数の豊富な炭層を持つ地域です。かつては多くの炭鉱が栄えており、阿寒町にあった雄別炭鉱もそのひとつ。国立公園の指定を受けて温泉地として発展してきたこの阿寒には、炭鉱の姿もあったのです。石炭は基幹産業として釧路地域発展の礎を築き、今も続いています。今回は紅葉映える釧路地域の山々に息づく、炭鉱の歴史を辿ります。
- #遊久の里
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DATE 2019.08.16
ここから始まる、流氷の旅。
「オホーツク流氷館」は、年中いつでも流氷に直接触れることができるなど、オホーツクの自然を体感でき る施設です。平成27年8月に新しく建て替わり、地下1階の流氷幻想ギャラ リーのほか、1階のギャラリーショップ、2階のカフェレストラン、屋上の絶景展望と、どのフロアも一新しました。
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DATE 2019.08.16
時代おくれでもいい。地域の造り酒屋として醸す。
その思いは、地域色に富んだ商品を生みだしました。たとえば平成18年に登場した「海底力(そこぢから)」。その名のとおり、太平洋下に伸びる海底坑道で貯蔵したお酒です。釧路市に日本で唯一残る坑内掘炭鉱企業とともに、地域応援ができればと願っての取り組みでした。それにしてもトンネルで貯蔵とは…。発想の由来を聞くと、それは梁瀬社長は28歳まで建設会社の土木技術者としてトンネル工事に携わっていたのです。「経験上、トンネル内は光が届かず気温も一定であると知っていました。きっと酒の貯蔵に適していると試したところ大正解。まろやかなお酒に仕上がりました」。
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DATE 2019.08.15
雪と氷のテーマパーク 冬遊びの宝庫・大沼
どこまでも続く白い世界を一人占めしませんか。氷上をクルーズできる氷上そりや女性の方でも簡単に運転できるスノーモービル。風をきって湖上をかけめぐる爽快感を味わってください。雪深い自然の中を散策する醍醐味をベテランガイドが案内するスノーシュー。結氷した大沼湖と秀峰駒ヶ岳が織りなす風景や野鳥観察など新しい出会いが待っています。また、大沼のもうひとつの定番といえば氷上のワカサギ釣り。道具は一式レンタルできるので手ぶらで行っても気軽に体験できます。揚げたてのワカサギの天ぷらは格別。その他にも、乗馬、四輪バギーなど各種アイテムが楽しめます。冬の大沼はまさにアクティビティ天国です。
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DATE 2019.08.15
松浦 武四郎の旅路を探る
1855年。松浦武四郎は晴れて蝦夷地御用雇として正式に蝦夷地を調査する大義名分を手に入れます。気候風土、新たな道や開拓に最適な場所の選別、アイヌの人々の生活状況などの調査が幕府から命ぜられました。「面白いのがこの頃、武四郎は明治維新へ影響を与える吉田松陰とも交流を深めているんです。吉田松陰は、知人に宛てた手紙で、世の新しい情報を集めるなら武四郎と付き合いなさいと書いています」。三浦学芸員の話からも武四郎は広く情報を集めていた様子が感じられます。 そうして迎えた4回目(1856年)は、函館から出立し、西側沿岸を通って樺太、紋別、根室、様似を巡ります。5回目(1857年)は西側を内陸部へ分け入る旅。案内人はアイヌの人々にお願いし、時には集落へ泊まることもありました。旅の食料として米、味噌、塩を携帯して、魚や肉などは現地でアイヌの人々から分けてもらうことも少なくなかったようです。三浦学芸員曰く「武四郎自身の紀行文には、アイヌの人々に分けてもらった食事をすべてパクパク平らげたことで、アイヌの人々との交流がより深まったというエピソードも記されています」とか。また「北海道」という名前となるキッカケも、5回目に訪れた天塩地域に住むアイヌの長老から得たもの。「カイ」というアイヌ語に「この地で生まれたもの」という意味があると聞いたことが、後の命名案に影響を与えたと言われています。武四郎の蝦夷地調査も、6回目(1858年)が最終回。この旅は函館、札幌、富良野、十勝、網走へと渡り、日高と道東をもう一度巡るという、最も長い旅になりました。阿寒を訪れたのも6回目。こうして武四郎は13年間におよぶ蝦夷地調査に幕を下ろします。明治維新後、新政府は「蝦夷地」を改称しようとしますが、役人であった武四郎の命名案は6案。日高見道、北加伊道、海北道、海島道、東北道、千島道です。その中でホッカイドウが採用され、「北海道」と漢字が当てられたと言われています。「武四郎の北加伊道が名前の由来とされていますが、東海道などの五畿七道の流れを組んで北海道と名付けられた可能性もあります。武四郎はそれを分かった上で、あえて北加伊道を提案したのかもしれません。ただ、新政府は武四郎に「道名選定」についての褒賞を与えているので、命名者として位置付けられてはいます」。北海道命名の経緯から読み取る、幕末の探検家・松浦武四郎の魅力です。
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DATE 2019.08.15
幕末の探検家 松浦武四郎の軌跡
「さまざまな文献から、武四郎の好奇心の強さや、人の懐に飛び込むのが上手だったことがうかがえます」と三浦学芸員は語ります。その好奇心の強さは「久摺日誌」に残された細かな地形、地名などの記載から感じられるでしょう。また宴に誘われて参加したりするなど、アイヌ民族とその文化に強い興味と親しみを感じています。旅の終わりにはアイヌの祭具であるイナウを祀って無事の帰着を祝ってもいます。異文化を受け止めている様子からも、柔軟な思考の持ち主だったことがうかがえます。同時にアイヌも笠が壊れてしまった武四郎に大切に作った笠を譲り渡したりして丁寧に対応する様子が描かれています。しかし三浦学芸員は、武四郎が現代的な感覚でいうヒューマニストとは少し異なるという見解です。「武四郎が幕末という激動の時代を生きた人であることは考慮しなければなりません。単に現代的な感覚では比べられず、アイヌ民族の生活改善の訴えの背景にはロシアへの脅威もありました。ただそれでも、寝食を共にするなど、親しく交流したアイヌの人々一人一人の幸せを願う武四郎の気持ちは強かったと思います」とのこと。幕府の役人という立場から、幕府による、より良い蝦夷地の統治が行われていくことに期待した武四郎。和人もアイヌも共に幸せに暮らせる未来を思い描いていたのでしょう。
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