鶴雅まろうど絵巻物 vol.23冬号
雪は天から送られてきた手紙

見渡す限りの白銀の世界は、ときに厳しくも、美しく、幻想的。北海道の冬には当たり前の雪景色ですが、見方を変えると、面白いものが見えてきます。長年、北海道の雪を専門に研究してきた科学者が「雪は、天から送られてきた手紙」と表現したのも、そのひとつ。つまり、雪の結晶一つひとつが高空の大気の状態を表しているからなのですね。今年の冬、身近に降る雪のこと、すこし科学の眼で観察してみませんか?

同じ北海道でも、
ところによって 雪の結晶は違うって!?

 北海道では普通に見られる白銀の世界の雪は、日本海側に降る雪とオホーツク海や大平洋側に降る雪とは違う性質を持っていること、ご存じでしたか? というのも、日本海側の雪は、側の雪は、シベリア寒気団が南下して大雪山系に阻まれて大気中の水分が結晶化して雪になります。反対にオホーツク海側は低気圧が張り出してきて大気中の水分が結晶化して雪になります。
 つまり、北海道の西側に降る雪は、高空で結晶化するために地表に降りてくるまでに時間がかかり、その分、結晶としても大きく育ったものが多く、結晶面が輝いているきれいな雪と言います。逆に東北海道に降る雪は、豊富な湿り気の中で、比較的低空から降ってくるために滞空時間が短いせいで未発達ながら、無垢の六角板や角柱などの結晶が多いとのこと。

雪にはまだまだ解明されていない ミステリーがある!?

 子どもの頃、雪を手に取り虫眼鏡などで観察した経験は、どなたでもお持ちでしよう。だから、雪の結晶は六角形をしたものが多いこともご存じでしょう。しかし、なぜ六角形になるのかはご存じですか?それは雪が結晶化する前の水蒸気=水分の状態と密接なつながりがあります。水分の化学記号はH2Oですが、その分子構造は六角形をなしています。この水分が低温で固化するとき、六角形の枝状に氷の成分が伸びていくことから六角形の結晶に育っていくと説明されています。こうしたことは、北海道大学の低温研究所や国立の寒地研究所などで研究されて科学的にも解明が進んでいますが、まだまだ未知の分野も多いのだとか……。例えば、雪の核を構成する物質についてはまだ十分な解明が終わっていないそうです。さらに、人工の雪を作るのに要する時間は長いのに、自然の雪はなぜ短時間に結晶化するのか? などについても研究は続いています。手の平の上ではあっという間に溶けて消えてしまうはかない雪。大量に降り積もると神秘的な景色を作り出す雪。文語的には「六花」の名を持つ雪。そのさまざまな雪の表情を東北海道で体感してみましょう。
phot by:www.snow.crystals.com



阿寒イメージ
スノートレッキング
高田 茂さん

 この時期に阿寒湖畔に見えられるお客さまは、温泉が目当ての方も多いのですが、結構行動的に寒い冬を楽しもうと、ウインタースポーツにチャレンジされる方も増えてきましたね。そこで出番なのが我々インストラクターなのですが、オススメのお手軽プランはスノーシューを履いてのスノートレッキング。時間的にも、空気がきれいな朝7時くらいに出発する90分コース。白銀の世界に広がる神秘的な阿寒湖を眺め、小動物の様子を観察したり、十分楽しんでも、ホテルに戻ってから身体を温める入浴も可能です。当日予約も可能ですから、お気軽にどうぞ。ただ、背広や革靴・ハイヒールは避けて、防寒着はしっかりと着た上でお願いします。

鶴雅グループ事業本部
アウトドア事業部
部 長 高田茂 

網走イメージ
星空イメージ
梅林 弘道さん

 今から4年ほど前に大阪から脱サラで東北海道に夫婦で移住してきました。学生時代から北海道が大好きで、念願の移住だったのですが、網走を選んで大正解。暮らしの中に自然が溶け込んでいると表現できるでしょうか、本当に身近なところに自然と触れあう場所がたくさんあります。海、山、湖と、同じ冬景色でも、厳しかったり、優しかったりと、それぞれに特長があります。この時期私が一番オススメなのは、網走を代表する冬のイベント「あったか網走」の会場から気軽に出かけられるスターウォッチング。それこそ降るような星々を肉眼で観察できて、見上げるのに疲れたら、新雪の上に大の字に寝転がって眺めるのもアイディア。真っ白な雪景色が心情的に「あぁ、あったかいなぁ」と感じることでしょう。「網走の冬の自然を満喫したい」という方には早朝のスノートレッキングもオススメですよ。

ネイチャーガイド
(オホーツク自然堂代表)
梅林弘道さん



橋本 佳之さん

阿寒観光協会事務局

橋本 佳之さん

  まずは、『あいすランド阿寒』から。目玉のイベントは「わかさぎ釣り」、ご利用された方によると、今年は何年かぶりに魚影が濃いようですから、時間やポイントによっては入れ喰い状態が期待できますよとの事。そして『阿寒湖氷上フェスティバル』。氷上のメイン会場には、今年新たに「ホワイトロックビジュアルドーム」なる、幅7mの白く輝くテントが出現! このテントに、阿寒の自然をストーリー化した映像が内部から映し出されますから、観客の視線は集中するでしょう。この会場では、昨年の秋に好評だった「イオマンテの火祭り」と同様に、一般の方々が有料で参加できる「タイマツ行進」も取り入れていますから、いっそう盛り上がりますよ。
 それから、もう10年以上も続く『冬華美』もぜひどうぞ。今年も毎夜330発を打ち上げますが、阿寒の自然をイメージした物語風の打ち上げに挑戦しますので、見応えがあるんじゃないでしょうか。
 最後に、国設阿寒湖畔スキー場でも、新たに『キッズパーク』を設けました。これは、ロッジのそばに小さなお子さまをさまざまな雪遊びの道具を用意させて、安全に安心してお子さまを遊ばせようと企画されたもの。だから、ご年配の方から、ご家族連れの方も、もちろん若い方たちにも、阿寒の休日を満喫していただけると思います。

ステージ ワカサギ釣り

ステージと火の神の使い

釣り上げたワカサギを天ぷらにするサービスもあります。

冬華火 氷切り体験

冬の夜空の
一大ページェントの
「冬華美」は阿寒湖の名物。

氷切り体験

スキー場 そりすべり

遊具施設も充実して家族で楽しめるスキー場。

『あいすランド阿寒』開催期間■1月1日〜3月31日
阿寒湖氷上フェスティバルICE・愛す・阿寒『冬華美』開催期間■1月26〜3月25日

浅畠 秀喜さん

サロマ スノーモービルランドインストラクター浅畠 秀喜さん

 今年で21回目になるサロマスノーモービルランドは、暖冬などの影響でサロマ湖の氷上から、内陸の農地で開催します。
 例年ですと、流氷観察コースなどもあったのですが、今年は遊び体験に徹底して実施。広さも18haを確保して、最長8kmのコースも用意しましたから、乗り応えがありますよ。勿論、ヘルメットに長靴、防寒ウエアーも手袋も無料で用意していますから、身体一つでOK。オホーツクの冬景色を満喫するなら、やっぱりサロマスノーモービルランドですよ。

スノーモービル

千葉 聡

網走・北天の丘支配人
千葉 聡

 私も、スタッフの一員として、企画段階からイベントづくりに関わってきましたが、今年は従来の冬を楽しむ面白さに加え、網走の魅力をもっとアピールしようと古えの「オホーツク文化」を知ることができるPRコーナーや北方民族のオロチョンの火まつりをテーマとした「採火式」のセレモニーなど、新しい取組みにチャレンジしています。この機会に「新しい網走の魅力を発見」してもらえたなら、嬉しい限りです。

バナナボートと花火

開催期間■2月2日(土)〜3月9日(日)
開催場所■網走市呼人網走湖上(呼人浦キャンプ場周辺)時間/昼の部午前9時〜午後4時30分 夜の部午後7時〜午後9時



南川 保則さん

湧別町で「オホーツクの自然塩」を製造し、芝居小屋「湧楽座」を経営する

株式会社つらら代表取締役

南川 保則さん

連絡先:紋別郡湧別町栄町37-25
電話01586-5-3703


南川さんの実家は、大正の初めから続く老舗の味噌醸造の蔵元でした。工場の事務所入り口には、当時の蔵出し味噌の懐かしい莚(むしろ)にくるまれた風袋が展示されています。しかし、10年ほど前に、南川さんのお父さんの時代に、ついに製造に幕が引かれることに・・・。
そこで、南川さんは、沈思黙考の結果、オホーツクに豊富に資源として存在する塩の製造を思い立ちます。

オホーツクの塩 塩と南川さん

我が子のように扱う掌にオホーツクの塩への愛情が感じられる

芝居小屋

 「100年も続くものづくりの灯を消してはいかん、と思っただけなんです。だから、計画的な事業プランがきちんとあった訳でもありません。ただ、塩の製造を思い立ってからは、大変な忙しさでしたね。塩づくりに関しては、まったくの素人でしたから、沖縄や九州、四国や瀬戸内など国内塩を製造している現地を見学。製造工程の習得が終わると、今度は同じオホーツクでも海水は採集する場所で成分が異なりますから、どこの海水を使うか、色々とテストをして、決めなければなりませんからね」と、当時を振り返ります。
 その結果、原料の海水はサロマ湖のものに決定したそうです。私たちは、台所や食卓で使用する塩は、単に塩分だけではなく、ミネラルなどの栄養素も含まれている方が美味しい塩になると思いがちですが、南川社長は「美味しい塩には、余分な成分が含まれていない方がいいのです。カルシュームたっぷりとかミネラル豊富なんて、とんでもない。塩は塩分が本分。第一、余分な成分を取り除く工程の方が時間もかかって大変なんです」と、一刀両断のコメント。
 その南川社長に、工場棟の塩製造プラントを見学させていただきました。見学前は海水を煮詰めて製造するだけに塩水で錆が浮いたような機械が並んでいるのを想像していたのですが、あにはからんやピッカピカの、まるでステンレス製の機械が並んでいるではありませんか。

 「ほとんどの製造工程の機械は、オール超合金製なんです。経費はかさみましたが、安心・安全の食を守るためには、衛生的かつ科学的にプラントを整備しなければならんのです」と、南川さんは自信の笑顔を見せます。現在、その甲斐あって、アイテム的には八品目を製品化。なにより、大手食品メーカーのカルビーなどからも大口注文契約も結ぶほどになりました。

製品化された商品

これまでに製品化された商品


 工場の敷地内の一角に、どこか昔の映画館を思わせる建物があります。昭和の一時代、湧別町民の娯楽を支えた実名の映画館を再現した芝居小屋だと言います。中に入ると、まさに一挙にタイムスリップ。一階と二階を合わせると約250席の桟敷席が用意され、各種の照明・音響設備から、上下の舞台袖、楽屋などまで揃った本格仕様で、ちょっとした市民文化会館のよう! 聞くと、なんと南川さんは、学生時代から役者を志し、あの小沢昭一劇団にも所属していたというではありませんか! 思わず過去形で表現しましたが、昨年末にも、小泉八雲の「耳なし法一」を独り語りで上演するなど、現在もバリバリの現役。「あくまでも、私の本業は塩づくり。その本業があっての道楽ですから、分はわきまえているつもりです。でも、本業も道楽も共通項は一つだけあります。それは、どちらも自分にできることはすべてやるという思いでしょうか」と言って微笑む南川さんの笑顔は、仕事も趣味も全力投球の結果がもたらす独特の輝きに満ちていました。




鶴雅グループ・シェフ ソムリエ 小熊 和博

 寒さの厳しいこの季節にこそオススメなのが「アイスワイン」です。このアイスワインは、普通の収穫期の9月から10月をずらして、1・2月ころに一粒一粒手摘みで収穫。ぶどう自体が凍って、適度に水分が抜け、糖度が増したぶどうが収穫できる訳ですね。鶴雅グループが仕入れているアイスワインは、各国で作られるモノの中から、選りすぐりの逸品を取り揃えました。これからの時期、東北海道は、甘味たっぷりのエビ・カニが美味しいとき。甘味のある食材と一緒にいただけば、このアイスワインは、まるでデザートワインのような至福をもたらしますよ、きっと……。




山野 隆司さん
パン・デ・パン 店内

 リゾート先でも、美味しいパンはいかが? そんなお客さまから好評をいただいているのが、阿寒湖畔の「パン・デ・パン」です。吟味した道産の小麦粉を使用し、さらには最近の健康志向のお客さま向けに十穀パンなど、常時40種類のパンを焼き上げています。今の時期の売れ筋は、北海道の甘納豆を入れて作った「大納言(半斤200円)が好評で、一度召し上がっていただいた首都圏のお客さまからも追加注文があるとのことです。

お土産チョコ

 阿寒湖の豊富なお土産アイテムに、さらに新製品が登場しましたよ! その名も「天使の恋人・雪だるまチョコ」。 15個入りでお値段250円。しかも冬期間限定ですから、もらった人も喜ぶこと請け合い! サイズ的にもかさばらず、バッグにもポケットにもジャストサイズですから、お土産に、旅のお伴にぜひどうぞ。

網走・北天の丘 料理長 細江 光秀

 もともとブイヤベースは、南仏の漁港などで漁師さんたちが食べていた一種の鍋料理。新鮮な魚介を材料にしていますから、とても美味しいんです。網走も海の幸が豊富ですから、網走産のホタテ・アサリ・シジミに加えて、あとはブロッコリーにカブ、冬キャベツも入れ、ダシもたっぷり出るロブスター海老をメインに仕上げました。これに冷やした白ワインを召し上がっていただければ、極上のフレンチ風海鮮鍋を堪能していただけると思います。

ブイヤベース

〈写真のブイヤベースは3〜4人前です〉

マリモ

 日本の天然記念物で知られる阿寒湖のマリモは、我が国固有の種ですが、世界には仲間がたくさんいます。その中でもロシアにもたくさんのマリモが生育しています。鶴雅では、このほどロシアからそのマリモを取り寄せ、鶴雅百花苑となりに特別に水槽を設置し横120cm・縦45cmのものが二槽あります。大小合わせて72個ほどの鮮やかな緑色のマリモが間近で観察できます。世界に数少ないまりもをぜひご覧ください。




堀口 敏幸さん

 今の時期は、網走産のキンキが一番脂が乗って美味しい食材です。このキンキ、網で獲るのではなく、地元ではほとんどが一本釣りなんです。網だとどうしても魚体が傷付きがち。それが釣りだとその心配もありません。私の店(鮨かっぽう 花乃れん)では、このキンキを一尾まるごと使って、刺身から鍋からキンキのフルコースを提供して喜ばれています。とくに、締めの料理としてお出しするアラを出し汁にした「キンキ素麺」は絶品! オホーツク地方には、漁港が多く、漁師さんたちも大勢います。そんな漁師の街では、漁師さんたちの味覚が独特の食文化を作っていきます。その意味では、網走は、北海道有数の魚介の産地で同時に美味しい一流の食材が揃った一大市場と言えると思いますね。

キンキ



小林 一之さん

今から8年前、阿寒湖の氷上を利用して、耳なれない「国際スケートマラソン」というスポーツイベントが開催されました。このイベント、ヨーロッパではれっきとしたプロも参加して、冬場の欧州を転戦して賞金を稼ぐもの。とくにオランダでは盛んなスポーツで、当時のオランダ大使館の協力もあって、開催時には数百人規模の参加者が阿寒に集結し、タイムの面でも好結果を残しました。しかし、なによりも効果があったのは、国際交流の面でした。その後、運営にまつわる問題などがあって、3年目で中断しますが、阿寒湖の海外PRの気運を途切れさせてなるものかと、再び立ち上がったのが小林さんたち地元観光協会の面々です。
準備に忙殺される準備室を訪れ、お話しを伺いました。

各方面からの協力も得て、滑り出しは順調

ポスター

今年のポスターもすでに完成

スケートマラソン

各自お気に入りのスタイルで出場

 「この企画、スケートマラソンでは一般的ではないとの考えから、『国際スケートフェスティバル』にネーミングを変更しました。阿寒町が釧路市と合併したこともあって、釧路市や釧路スケート連盟さんの協力もいただけることになり、まずは滑り出しは順調というところでしたね」と、小林さんの開口一番は笑顔です。
 なんでも小林さんのご子息の二人ともスケート競技の選手ということもあって、オランダには海外遠征に何度も出かけているのだそうです。そのため、ご子息を通じて彼の地のスケートマラソンに対する熱狂ぶりは把握済み。そこで、小林さんたちは、オランダ総領事に後援の打診をしたところ、再び現地を訪れてくれ、快く了解してくれたそうです。

コース造成経費も、地元企業の協力でめどが立ちました

表彰の様子

昨年のお立ち台のヒーロー

 昨年からスタートした組織づくりは比較的順調でしたが、問題はコース造成などの経費の捻出。阿寒湖が十分な厚さに結氷してから、走行する距離に合わせてショベルなどの大型重機が不可欠なのです。まして、阿寒湖は結構な量の雪が降ります。降雪地域の毎年の除雪費用を考えただけでも、経費の問題は私たちでも理解できます。
 「本当は通常のマラソンのように、40km以上のコースも作りたかったのですが、短いコースでもフェスティバルの理念は実現できると考え方をシフトして、地元の建設業者の方々のところへお願いに行きました。すると、どの会社の方々も阿寒のためになることならと、予算内で2.5km弱のコース造成を気持ちよく担当してもらうことができました。感謝以外なにものでもないですよね」

阿寒湖畔の住人と一緒に胸を張れるイベントに育ってくれたら……

 「スケートマラソンを前身として、また再び国際的なスケートイベントを開催する訳ですが、多くの方々のご協力で寄付もいただき。前回に比べると規模も予算も小さくなりますが、国際交流面でも、なにより阿寒町民にとっても大きく胸を張れるイベントになればいいな、という思いがすべてです」
 いま、北海道の活力が懸念されている状況の中で、殻を打ち破り、ブレイクスルーのために新しい発想で取り組むイベント仕掛人の姿がここにありました。こうした人たちのトライアルがあれば、規模の大小にかかわらず意味のある挑戦になるのだと実感できるインタビューでした。



鶴雅グループの創始者が、釧路駅前の旅館をたたみ、
夢の阿寒湖畔で「阿寒グランドホテル」を開業してから50余年。
決して平坦ではなかった道のりで、いつも支えとなっていたのはお客様の笑顔でした。
懐かしくも愛しい時代ごとのエピソードをご紹介いたします。

増改築工事の様子その1
増改築工事の様子その2
湖畔の有志

レジャー客のニーズに合わせて、24回に工及ぶ増改築工事

 昭和40年代に入ると、我が国は重工業分野での隆盛や基幹交通網の発展などにより、高度経済成長時代に突入していきます。大都市では、高層ビルが建ち始め、商店街には人があふれ、暮らしぶりは活況を呈しているように見えます。しかし、それは一部の都市でのこと、ローカルの北海道、とくに人口数千人の阿寒町などでは、別世界での話といっても過言ではありません。
 この時代、まだまだリゾートなる言葉もなく、人々がレジャーとしての温泉旅行に求めていたのは、まず温泉入浴でくつろぎ、大広間などで大勢で宴会を愉しみ、豪勢な客室で休むといったステレオタイプなスタイルが根強かったのです。そのため、開業後の10年間から20年間にかけての阿寒グランドホテルの歴史的な特徴としては、増改築につぐ増改築の繰り返しだったと言えるでしょう。手許に残る資料を見ても、その数、なんと24次にも及ぶ工事だったことが記されています。そんな中、昭和45年には、当時の洗濯室から出火し、施設の一部が焼失する事件が発生。スプリンクラーなどの防火施設が法律で定められていない時代でしたが、不幸中の幸いで、従業員の力を合わせた避難誘導などにより、お客さまには一人の負傷者を出すことなく済みました。

冬場の休業をなんとかしなければ、と湖畔の有志が立ち上がる

 阿寒グランドホテル開業当時の章でも既述しましたが、阿寒湖畔は冬季には積雪のためなどによって、11月から翌年5月までの半年間休業を余儀なくされるほどの効率の悪い不便な温泉地でした。しかし、湖畔の旅館関係者の中には、休業しなければならないハンディキャップをなんとか乗り越え、通年営業ができるように、冬場の湖畔の魅力づくりのためになにかを始めなければならないと、意欲に燃える人材が出始めたのもこの時期なのです。40年代半ばの昭和46年、関係者の意欲が実って、現在の「阿寒湖氷上フェスティバル」の前身である「第1回阿寒湖氷上祭り」が産声をあげました。現在のバラエティーに富んだ内容のものとは違い、雪像ならぬ氷像を十数基並べただけの簡単なものでしたが、後にこの氷像彫刻の技術力が各方面で評価され、紋別などの冬まつりに招聘される関係者が多かったようです。つまり、創業後の10年と比べ、決して順調な飛躍の年代ではありませんでしたが、現状に対する疑問を芽に、自分たちの力を信じて、難関突破=ブレイクスルーを図る下地が培えた時代と言えます。