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1月も中旬を迎えたある日、沿岸からオホーツク海の沖に白い帯状の氷が姿を現します。この日を「流氷初日」と呼びます。流氷初日は、その年の気候によって異なりますが、はるか沖に姿を見せた流氷は、風向きによって接岸したり離岸したりを繰り返し、やがて氷原となって海一面を覆い尽くすまでになります。 その流氷ですが、すべてがシベリアから流れてくるわけではありません。海中で作られる氷もあるのです。海水は塩分を含んでいるため、淡水のように表面が氷った後も水温が一定状態になることなく、海水全体の温度がどんどん下がってゆきます。そのため、海中で「氷晶」と呼ばれる流氷の赤ちゃんが生まれます。この氷晶が集まってやがて大きな流氷になることもあるのです。 日いちにちと様々な変化を遂げてゆく流氷を表現する言葉は、なんと90種類以上もあります。一例を挙げてみると大きな氷の塊の前の段階では「氷晶」と「氷泥」「氷殻」「一冬氷」と呼ばれた |
り、主に流氷の拡がりを表現する場合には、「氷原」「氷野」、流氷の間に見える海面を「氷池」「氷湖」「氷湾」。春が近づく頃には「キノコ氷」「モザイク氷」と呼ばれる姿に変化するのです。あなたの前に姿を現す時流氷はどんな表情を見せてくれるのでしょうか。 ちなみに塩辛いイメージのある流氷ですが、氷結する際に塩分がはき出されるため、水割りに使っても、分かるかどうかのうすい塩味の氷に仕上がっています。 |
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阿寒湖の冬の魅力は、とにかく明るいこと。もちろん雪は降りますし寒さも厳しいですが、青空の映える天候の良い日が多いので、私自身、冬が大好きです。 |
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星を見る、ということはシーズンを通してできますが、「氷の上で」となると話は別です。こんなイベントは日本中でも阿寒湖だけではないでしょうか。湖畔のホテル街からスノーモービルに乗って5分ほど移動した所がかいじょうです。氷上フェスティバルの開催中は、会場にある電飾で飾られたイグルーが受け付けになっています。出かける時には、帽子、手袋、マフラーがあるといいですね。もちろん、ないという方にはお貸ししています。受け付けが済み、準備ができたら、スノーモービルのドライバーにしっかりしがみついて、暗闇の雪原の中へ出発です。若いドライバーに抱きついて、おおはしゃぎしているおばさまの姿も見られます。スターウオッチングの会場では、専門のガイドが星座や宇宙の解説をしています。 |
冬の南の空には、オリオン座をはじめとした名だたる星々が・・・。黄道にが、土星や木星といった惑星も見えます。星の好きなお客様は、初めから終わりまで2時間もいた人がいるほど。凍えるまで空を見上げていらっしゃいます。そしてロマンチックなムードに、ガイドの説明そっちのけで寄り添うふたりの影も・・・。 |
冬を楽しむレジャー&スポーツに忘れてはいけないのが寒さ対策。特に肝心なのが服装です。今は防寒着も充実してますから厚手のものをさらに重ねるよりはセーターやその下のインナーを重ね着した方が暖かく過ごせます。手袋や靴下は厚い物の下に薄いものをもう1枚身につけるとベターです。それでも暖まらない時の秘策をひとつ。左右の手を合わせて拝むようにギュウギュウ押しつけてみてください。思いのほか体が温まります。一度試してみると良いですよ。 |
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氷上フェスティバルの期間中、毎晩打ち上げられる花火。冬の花火がひときわ美しく見えるのは、他のシーズンと比べて空気中の塵が少なく、空気が済んでいるため。阿寒湖畔は市街地とは違って、周囲のネオンや街灯が少ない環境であることも、理由のひとつとして挙げられるでしょう。ユーミンの曲が流れる野外の会場で、見上げるのも楽しいものですが、暖かい館内から見たいという方に、お勧めの場所をお知らせします。 |
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ウイスキーや焼酎は温かいお湯で割って飲んだりします。日本酒も人肌に温めて・・・という飲み方はありますが、ワインに関して言えば、ホットにして飲むのは一般的ではありません、どうしてだと思われますか? |
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常呂町は、当たり前のようにカーリングホールの施設があるほど、カーリンクが盛んな町。敦賀信人さんは、この町で生まれ育ち、この町が世界に送りだしたカーリングの選手でもあります。 |
を掴みました。ところが、オリンピックに出場するチームは選抜チーム。それまで共に頑張ってきたチームからは敦賀さんを含めて2名しか選ばれなかったのです。一度は辞退しようとも考えたオリンピック。それでも、「必ず、応援に行くから」というチームメイトの声に励まされ出場を決意したのだそう。オリンピック出場チームには3つの壁がありました。違うチームから集められたというチームの壁。親子ほどもある年齢の壁。そして、住んでいる地域の壁。「言いたいことを言えるのがチーム」という監督の言葉に励まされ、2年間の練習機間を経て最高のコンディションで出場したにもかかわらずオリンピックは残念な結果に終りました。にも関わらず、しばらくはマスコミから英雄扱いを受けることになります。 |
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