先代を知りつくしたお目付け人 民宿 山口 山口 ふじのさん
先代を知りつくしたお目付け人
民宿 山口
山口 ふじのさん

あの日、あの頃、出来事引くに引けない…親子の葛藤劇でした。

 この春4月に90歳を迎える、その穏やかで温和な表情。『もう昔のことは、すっかり忘れてしまいましたよ。』と目じりを細めるこの方をおいて、阿寒グランドホテル50年のあゆみは語り尽くせない。豪放磊落、ワンマン振りには定評のあった先代故大西正昭社長。時には仕事に対する熱心さから意見が対立、廻りの方と喧嘩に及ぶことが幾度もあったそうです。「さて、どうやって治めようか」と右往左往する周囲の人々、そんな時に『山口のおばあちゃん』の出番がやってくる。しかし、喧嘩をする二人の仲に入って、ふじのさんが仲裁するわけではなかった。ただ先代の見えるところにちょこんと座っているのが役目だったようです。ふじのさんの顔を横目にチラッチラッ、先代の火山活動は徐々に治まっていったそうです。何故ならば…。それは阿寒グランドホテルが湖畔で産声を上げた時から、大西茂子会長の苦労も先代故正昭社長の情熱溢れる仕事振りも何もかもを知る人だから・・・あえて言葉は必要なかったそうです。

 大西親子が激論する時もそうだったとか?「お前はいつから社長になったんだぁ」と大声を挙げる先代に真っ向から自分の考えをぶつける若き雅之青年。「憎いわけではない。お互いにここは、引くに引けないものがあるな〜てね。」それは長年の夢であり、且つまた理想のホテル業の「道」の激論だったかな〜としみじみ語るふじのさん。阿寒グランドホテルは創業の後、増築に次ぐ増築を重ねていました。しかも24回、25回ほどの増築工事が続いていました。それは「温泉地で旅館をやりたい」と言った先々代大西正一翁の願いであり、その夢の実現でもあったようです。

 「先代の晩年頃、不思議だったことを覚えていますよ。糖尿病で、すでに目は見えなかったと思うんですが、天河の工事現場に毎日足を運んでいましてね。いつの日だったか私にあそこがこうなっていて、ここがこうなっているだろうと言うんですよね。まるですべてが見えているかのように。夢がカタチになっていくのが、判ったのでしょうかね?」としみじみと言葉を重ねる山口のおばあちゃん。この方の脳裏には、創業当時の先代故大西正昭社長の頑張る姿や茂子会長自らが身を粉にして働いている姿しっかりと焼き付いているようです。かつてお客さんの浴衣を川で濯いでいたら、その中にワカサギが跳ねたという「白湯川」。その白湯川は、今も鶴雅とふじのさんが守り続けてきた民宿の間を清らかにそして静々と流れている。